「水は方円の器に随う」
と書いて
"みずは ほうえんの うつわに したがう"
と読みます。
"水随方円"と四字熟語になることもあります。
この言葉を知ったのは、
林先生の初耳学という番組の中で
野球監督として知られた野村克也さん
が紹介された時のことで
元々林先生は、
野村さんとは考えが合わなかったそうですが
たまたま訪れたホテルに
野村さんの書いた色紙が飾られていて
それが「水は方円の器に随う」だった
それを見て、林先生は
「参りました」
「こういう深い世界をお持ちの方のお言葉だったんですね」
と感動して、
それ以来野村さんの悪口を一切言わなくなったそうです。
この言葉は元々は
「韓非子」などの歴史書に書かれていたもので
ざっくり訳すると
「政治家とは器、人民はその中に入る水のようなものである。器が四角形になれば水も四角形になり、器が円形になれば水も円形になる」
という内容なのですが、つまりは
「人民は政治家によって簡単に影響されてしまう(のだから政治家は気を付けて振舞えよ)」
これが転じて
「人は環境や人間関係によって、良くも悪くも変わる」
というのが現代用いられるときの解釈
ということになっています。
野村さんの書いた色紙も
恐らくはこの意味で書かれたものと思います。
ところで、今回筆を取った理由は
この現代の解釈を紹介したかったからではなくて
「水は方円の器に随う」という言葉は、
別の角度から見たらもっと面白い
と思ったからなんですよね。
どういうことか。
上記の解釈は、器と水の関係で言うと
器の形が水の形に影響しているという内容であり
つまり「器は水を従える」という、器視点で考えているのです。
これをもし、水視点で考えたらどうなるでしょうか?
「水は器の形に合わせる」という点に注目したら、
水は器の形に合わせて自在に形を変えることができる
↓
人は(自在に形を変える水のように)相手に合わせて対応することが大事だよ
みたいな解釈が出来ると思いませんか?
正直言うと「水は方円の器に随う」という言葉を見たとき
私はこちらのイメージが先行していました。
なので現代の解釈を知ったとき
あ、そうなんだ笑
ってなったことを覚えています。
まあ元々は
政治家に心構えを説くために生まれた言葉なので
最初からよくある解釈のような
考え方をベースにしていたとは思うんですけどね。
ということで今回は
一つの文章でも
別々の視点で見てみると
色々な解釈ができて面白いね、ってなった回でした。
おしまい。
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