私はそんなに人と話すのが上手ではない。
特に話す相手が増えるほど、コミュニケーション能力の低下を露骨に感じる。
一対一では出来ることが対大人数では上手くできないこともあったので、ああ自分は大して話すのは上手ではないんだなと気づき
それ以上でもそれ以下でもないけど、やっぱり何か改善できたらいいなと思っているのでコミュニケーションというテーマについても色々考えているんだけど
これはそんな考え事の成果のひとつ。
一気に話そうとすると、大体上手くいかない
一対一の会話を想定して、自分の中に話したいことが100あったとする。
これまでの私は、会話のキャッチボールの最初の一投で100全てを伝えようとしてきた。伝えたいと思っていた。
でも、これは大体上手くいかない。何故か。
- 自分の頭の中で情報が処理しきれなくなる
- 聞き手の頭の中で情報が処理しきれなくなる
- 需要と供給のミスマッチの可能性が上がる
このどれか、もしくは全てが往々にして起こるからだ。
一気に話したい事を話そうとすると、自分の頭の中で情報が処理しきれなくなる。すると例えば前後の論理展開がごちゃごちゃになったり、下手すると言いたかったことを忘れたりすらする。
聞き手の側も、やはり一気に話されると大変なのは同じだ。
また、話したかった100の内容全てが聞き手の聞きたい情報であるという保証はない。
話したかった内容100のうち聞き手が楽しいのは最初の60くらいで、
残りの40は聞いても分からないような些末な話とか、大して面白くもない自慢話とかになってしまうことも往々にしてあり得ると私は思っている。
まあ人間誰しもそのような"つまらない話"はしてしまうことはあるだろうし、聞く側もある程度はそれを分かっているので、多少はそういう事があっても問題ないのだけど
もしその需給のミスマッチに気づけないまま全て一気に話そうとすると、聞き手を置いて最後まで突っ走ってしまうことになる。
かくしてつまらない話が爆誕し、聞き手が
かくしてつまらない話が爆誕し、聞き手が
どんな話でもニコニコしながら聴いてくれる心優しい人か
途中で上手く話を遮ってくれる心臓強い人
という稀有な人たちでない限り、聞き手にとっては辛い時間が続く。
(うう…書いててブーメランが心に刺さる音が聞こえてくる…)
これでは会話のキャッチボールがより難しくなってしまう。
まずこれまでの内容をまとめると、一気にすべて話そうとする事のリスクは
- 自他ともに情報が処理しきれなくなる
- 話が長くなるほど”つまらない話”化しやすくなる
という事になる。
一回に話す量は少しでも、意外とどうにかなる
とはいえ一回に話す量を減らした場合、話したいことがちゃんと話せないんじゃないかと不安になってしまうのではと思う。
でも実際のところそれは大した問題ではなくて、何故かというと
もし聞き手が話に興味を持ってくれている場合、コメントや質問をすることで話の続きを促してくれるからだ。
話したかった残りの部分についてはそのタイミングで話せばいい。
逆にもし聞き手が話に興味がない場合は聞き手が別の方向に話題を持っていってくれるだろう。ここでは話したかった残りの部分の出番はないが、恐らく話していたとしてもその会話が発展することはなかっただろう。
(イメージとしては聞き手のフィードバックを活かしながら、会話の方向の最適化をしている感じに近いかもしれない。)
もともと会話はキャッチボールに例えられるように双方向のコミュニケーションによって初めて成り立つもので、これを別の切り口から見ると
会話の方向の選択権を独り占めするのではなく
話し手・聞き手の双方でシェアすることで会話を円滑にする
という考え方をしていると言える。
その上一度に話す量は減っており、上に述べた情報が処理しきれなくなるリスクも減らせるので良いことづくめである。
また会話の中には、会話の方向を変えるきっかけがたくさん存在すると思っている。
会話って往々にして予想していた通りには展開せず、
例えば内容から連想したこととか自分が持っている知識とかを話そう、と思った時点で話は違う方向に向かっていく。私の言いたい「きっかけ」とはそういうものである。
このきっかけを活かしやすくすることが、先ほどの「会話の方向の選択権をシェアする」に対応しているのではないかと思っている。
具体的に何をするかというと
(特に話し相手の)「きっかけ」に気を遣いながら会話をする、
もう少し具体的にすると
自分の話したいことを話しつつ、相手の話したそうなことにも気を遣う
といった感じだろうか。
この辺り、もう少しうまく言語化出来たらな。
でも実際のところそれは大した問題ではなくて、何故かというと
もし聞き手が話に興味を持ってくれている場合、コメントや質問をすることで話の続きを促してくれるからだ。
話したかった残りの部分についてはそのタイミングで話せばいい。
逆にもし聞き手が話に興味がない場合は聞き手が別の方向に話題を持っていってくれるだろう。ここでは話したかった残りの部分の出番はないが、恐らく話していたとしてもその会話が発展することはなかっただろう。
(イメージとしては聞き手のフィードバックを活かしながら、会話の方向の最適化をしている感じに近いかもしれない。)
もともと会話はキャッチボールに例えられるように双方向のコミュニケーションによって初めて成り立つもので、これを別の切り口から見ると
会話の方向の選択権を独り占めするのではなく
話し手・聞き手の双方でシェアすることで会話を円滑にする
という考え方をしていると言える。
その上一度に話す量は減っており、上に述べた情報が処理しきれなくなるリスクも減らせるので良いことづくめである。
また会話の中には、会話の方向を変えるきっかけがたくさん存在すると思っている。
会話って往々にして予想していた通りには展開せず、
例えば内容から連想したこととか自分が持っている知識とかを話そう、と思った時点で話は違う方向に向かっていく。私の言いたい「きっかけ」とはそういうものである。
このきっかけを活かしやすくすることが、先ほどの「会話の方向の選択権をシェアする」に対応しているのではないかと思っている。
具体的に何をするかというと
(特に話し相手の)「きっかけ」に気を遣いながら会話をする、
もう少し具体的にすると
自分の話したいことを話しつつ、相手の話したそうなことにも気を遣う
といった感じだろうか。
この辺り、もう少しうまく言語化出来たらな。
まとめ
- 話したいことを一気に話そうとすると頭の中で情報が処理しきれなくなったり、会話の需給が合わなくなったりしがち。
- 「会話の方向の選択権を話し手・聞き手の双方でシェアする」や
- 「自分の話したいことを話しつつ相手の話したそうなことにも気を遣う」を意識することで会話が円滑になるのでは。
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